こういう観点からものを考えるのも非常に大事だと思う。
さすが藤原元校長。不要な反感を買わぬ持論展開である。【日本をダメにした「正解主義」の呪縛を解け】
9月7日 日経ビジネスオンライン
景気悪化による消費不振、少子高齢化や人口減少に伴う国内市場の飽和、新興国の追い上げによる価格競争の激化、環境対応などで迫られる産業構造の転換――。現在、日本企業には様々な難題が突きつけられている。
いずれの解決策も、過去の延長線上の発想やノウハウ本などにある借り物の知識で見つけることはできない。だが、株主に追い立てられる経営者や管理職は早急な解を求め、付加価値創造を担うべき従業員はノウハウ本やインターネットで安易な答え探しに走り回る。
誰もが答えを求めるこの時代には、どのような人材が必要なのか――。それを探るため、日経ビジネスでは9月14日号で「急募!考え抜く社員 もう借り物の知識には頼らない」というリポートを組む。思考する社員を育てるために、それぞれの企業が何をしているのか、それをまとめた特集だ。
この企画に先立って、企業に求められる人材について、経営者や識者の意見を掲載していく。1回目は杉並区和田中学校の元校長、藤原和博氏。日本にはびこる正解主義が子どもたちの考える力を失わせている、と説く。
(聞き手、日経ビジネス オンライン 篠原匡)
―― 今回、日経ビジネスでは「考え抜く社員」というテーマで取材をしています。藤原さんはリクルート退社後、杉並区立和田中の校長として教育に関わってきました。これからの人材について、藤原さんのご意見をお聞かせください。
藤原 最近、すぐに答えを求める人が増えているけど、その背景には正解主義があると思う。よく学校では「わかった人だけ手を挙げなさい」と言うでしょう。わかった人のうち、さらに自信があるやつだけが発言を許されるわけでしょう。その瞬間に、ほかの子は思考が止まっちゃうんですよ。
人生には正解はない。
このように、日本の教育界は常に正解を求める正解主義でやってきました。この中で10年、20年と育てられた子供がどうなるか、というと、常に物事には正解がある、と思ってしまうよね。今の若い人はほとんどがそのように思っている。30代、40代の人だって、人生の中に正解があるに違いないと思っているよ。
だから、変な自分探しをするんですよ。自分にとって、絶対、正解の会社がある、自分にぴったりな仕事がある、とかね。でも、そんなものはあるわけがない。
自分も変化するし、相手も変化する。人生はその中でのベクトルあわせじゃないですか。仕事にしても、普段のベクトルあわせが本質なのに、正解があると思っちゃうわけよ。これは結婚の問題もそうだと思うよ。いつか正解が現れると思っているうちに、潮時を逃してしまう、というみたいにね。保留しちゃうんだよ。
―― 確かに、人生に正解を探していると、何も決められませんね。
藤原 この正解主義が日本中にはびこっている。オレはこれが最も叩かなければならない呪縛だと思っているわけ。だって、何でも正解があるという風に思う若者を育てているけど、実際はそうではないんだからね。ついでに言うと、ブランド志向も正解主義の結果だと思うよ。ブランド志向とは、要するに、皆が認める正解であれば大丈夫ということでしょう。人生の選択もそういう形になっているんだよ。
今の時代、「何とかの教科書」というように書いてある本が受けるわけじゃない。少し前の世代も「POPEYE」や「BRUTUS」をマニュアル本として読んだけど、今の若い人たちはもう少し重症のような気がする。昔のPOPEYE世代はアメリカにあこがれながらも、アメリカオンリーはちょっとどうかな、という照れがあったからね。
「それぞれ一人ひとり」の成熟社会
―― 正解主義を打破するにはどうすればいいのでしょうか。
藤原 この正解主義に対抗する概念があるんだけど、それを「修正主義」と名付けているんだけど、その前に、このようなマニュアル重視の世の中になったのか、少し長くなるけどその前提の話をしましょう。
よく言われていることだけど、今のこの時代は20世紀の成長社会から21世紀の成熟社会への移行期にある。オレは15年くらい前から始まったと見ているんだけど、今はまさに過渡期で、あと15年もすると、周りにいるすべての人々が「ああ成熟社会ね」と実感する時代になる。
日本は様々なラッキーがあって、1980年代に1億層中流といわれる時代になった。このように、1億人がすべて中流になった社会なんて人類史上ないわけですよ。アテネでもローマでも、格差がもっとあったわけなんだよ。
じゃあ、その後どうなるかというと、当然のことながら分解が始まる。上下、左右、前後みたいにね。高齢者が増えることが成熟社会ではなく、すべてのことが多様化し、複雑化し、変化が激しくなる。それが成熟社会の本質なんですね。あとは、上下、左右、前後に分解していくのが当たり前なんですね。
この成熟社会における最も大きな変化は「みんな一緒」という社会から「それぞれ一人ひとり」という社会への移行と言える。
―― 集団から個人への転換ですか。
藤原 イギリスやフランスは個人主義といわれるけど、国力が衰える中で個人が立ち上がっていった結果とオレは見ている。成熟社会はそれぞれ一人ひとりでおっかない。だから、個人と個人を結びつけるコミュニティが生まれるんですね。ヨーロッパでは宗教、すなわち教会がコミュニティの中心になっている。
お父さんと同じことをしても幸せになれない
ところが、日本の場合は産業が発展する過程で昔からのコミュニティは崩壊してしまった。その代わり、会社をコミュニティにしましたが、それも崩れつつある。一言で言うと、日本は人類の歴史が始まって以来、恐らく初めて宗教という道具を使わずに成熟社会に入ってしまったんですよ。
ここでまた、余計なことを言うけど、「それぞれ一人ひとり」ということは、団塊の世代以上の人は気づいていないけど、子供たちはすでに気づいているんですよ。今の団塊の世代以上の人は、まだみんな一緒にやっていけると思っているんじゃないか、と思うけど、もう子供たちは気づいているんだよね。
彼らはお父さんとお母さんの背中を見て、同じことを同じように努力しても、同じくらいの幸せ、もしくは同じ以上の幸せを得られるとはもう思っていないわけ。そんなことにはだまされないぞ、と。だから今、彼らはすごい孤独なわけですよ。
―― 30代の私でさえ、10年後、20年後の自分が想像できませんからね。
藤原 僕らの世代と言っていいのかどうかわからないけど、少なくとも僕は53歳だけど、昭和30年生まれというのはまだみんな一緒で乗っかってきた感じもあるんですね。それぞれに独自の人生を歩んできた、とみんな思っていると思うけど、世の中全体が成長社会の中にあったから、今の子供のような怖さがなかったんですよ。
だいたいこのくらいの大学で、このくらいの会社に入れば、これぐらいにはなるだろうな、という幻想がまだ残っていた。そして、それに間に合った世代だった。だけど、40代より下の世代になると、それぞれ一人ひとりの世界観、人生観、幸福感を持たないと幸せになれない。
携帯メールは成熟社会の落とし子
これは本当に恐ろしいことだよ。要するに、全体としてそれに従っていれば、何となくこのくらいの幸せにはなれる、という一般解がなくなってしまった。そうすると、個別にどうするのか、ということが一人ひとりに求められる。
ただ、先ほども言ったように、日本はそれぞれ一人ひとりの社会になった時に、一人ひとりをつなげていく機能が弱すぎるわけ。地域社会は崩壊してしまって、教会のようなものが支えているわけでもない。だから、キリスト教や新興宗教が出てくる。
―― 宗教以外に個を結びつけるものはあるのでしょうか。
藤原 日本は人と人をつなげていく機能が弱い。ただ、その代わり、めちゃくちゃはやっているものがあって、それが携帯メールなんですよ。どうして日本で異常なまでに携帯メールが使われるか。それは、小学生も中学生も高校生もそれぞれの不安の中で、何となくつながっている感覚が欲しいからでしょう。(メールを30分以内に返事する)「30分ルール」とか変なモノが出てくるのもそのためだよ。
それで、ようやく本題にはいるけど、成長社会、すなわちみんな一緒の社会で大事だったものは情報処理能力だった。
藤原 この情報処理能力というのは、頭の中に正解をたくさん詰め込んでおいて、正解を問われたらパッと出せる能力。「1+2」と言われたら「3」と答えられる能力。コロンブスがアメリカ大陸を発見した年と言われて「1492年」と答えられる能力ですね。こういう暗記力を含めた正解を早く正確に言える力。これが、非常に大事でした。なぜならば、成長社会ではそこに正解があることが非常に多かったためです。
必要なのは情報処理力でなく情報編集力
藤原 言ってしまえば、もっと多く、もっと早く、もっと大きく、もっと安く、もっと標準化――ということが正しかった。このように、成長社会には誰もが正しいと思える一般解が数多くありました。そう言う意味では、一番先にぱっと答えを出せる情報処理能力の高い奴が偉かったわけですよ。
―― 霞が関の官僚はその典型ですね。
藤原 そうですね。日本の小中学校教育はこの情報処理能力を徹底的に鍛えることに特化してきました。だから、非常に優秀な情報処理能力の高いホワイトカラーやブルーカラーが増産された。それが、産業界の発展に寄与したことは間違いないでしょう。
それに対して、成熟社会では答えが1つでないことがとても多い。学校の現場でも、いじめ1つを取ったって正解が1つなんてことはない。あらゆるビジネスシーンでも正解が1つなんてことはないでしょう。こうした成熟社会には情報処理能力ではなく、情報編集力が重要になってくるんですよ。
―― なぜでしょうか。
藤原 わかりやすく言えば、今日の夕食を作る際、冷蔵庫のあるものを組み合わせてカレーを作るのか、チャーハンを作るのか、そう言う意味での情報編集力ですね。限られた資源の中、自分の知識や技術、経験を組み合わせて最適解を見つけていく能力ですね。しかも、一発で答えが出ることなどまずあり得ません。試行錯誤の中、最適解を見つけて行かなきゃならない。
―― まさに悩む力、考える力ですね。
藤原 ここで、もう1つ新しい言葉を出すけど、情報編集力というのは「納得感」でもあるんですよ。つまり、ここで出すべき最適解は自分が納得し、かつ関わる他人が納得できる解なんですよ。今、こうしてオレは皆さんに話しているけど、オレだけが悦に入っていたらただの自己中じゃない。自分自身も納得するけど、記者の皆さんや日経ビジネスの読者の方々が納得してくれなければ意味がないでしょう。
「修正主義」が新しい世界観を作る
ここでまた脱線するけど、情報処理力と情報編集力をもうすこしわかりやすく言うと、情報処理力とはジグソーパズルなんだよ。ジグソーパズルは200ピースだろうが、2000ピースだろうが、1つのピースの正解の場所は1つでしょう。
もうわかったと思うけど、日本の教育はジグソーパズル型の学力を高めることを目的にしてきました。つまり、極論を言うと、日本がやってきたことはジグソーパズルを早くやれる少年少女を何人作れるか、という勝負だった。でも、ジグソーパズルには盤面上、できないことが2つあるんですよ。なんだと思う?
―― 何でしょう。・・・・・・。デザインを変えられない、ということでしょうか。
藤原 そう。それが一番、大切なところね。ジグソーパズル少年は世界観を作っていないわけですよ。ミッキーとミニーちゃんの図柄なのか、お城があって、森にきれいな川が流れている図柄なのか、その世界観はジグソーパズルメーカーが規定していること。ジグソーパズル少年とは、そういう風に世界観が規定されている中ではうまく、早く作る。だけど、世界観そのものを作るわけではない。
それともう1つは、途中で変更ができない。この風景は古いな、と言って捨てるわけにはいかないんですよ。
さて、わかってくれたと思うけど、日本が何で15年以上も前から立ち止まっているのか。結局、日本の政治家もそうなんだけど、官僚の大半が東大を始めとした情報処理力の世界で育っている。情報処理力の世界のエリートをなんぼ揃えたところで、世界観そのものは作れないんですよ。
―― 日本にはびこる「正解主義」とそれに伴う「情報処理力」。この2つが「考え抜く人材」の障害になってきたということですね。
藤原 そうですね。その正解主義に対抗するのは修正主義。やってみて、無限に修正していく、という考え方ですね。会社でも学校でも同じだと思いますが、みんな100回会議して、正解を求めようとしているんですよ。でも、そんなことをやっていると、半年ぐらい過ぎてしまって、時代が変化しちゃっているわけですよ。そんなことはせずに、とりあえずやり始めて、100回修正した方がこの納得感に到達できる。そういう修正主義で人生も生きた方がいいでしょう。
正解主義を煽っているのはメディア
―― 考えて実行し、また考える。その繰り返しが大切だと。
藤原 できるだけ早い時期に自分の娘や息子に、あるいはできるだけ早い時期に新入社員に修正主義という考え方を教えていかないと、えらいことになってしまうと思うよ。
例えば、正解主義で育った子が会社に入ったとしましょう。何かに詰まって「できない」となった時、どこかに正解があるんじゃないか、とネットで探すけれども、見つからずに、フリーズしてしまって、ポーズボタンを押しちゃって、最低のことが起きるわけですよ。「すみません、これはどうしたらいいんですか」と早い段階で聞けばいいのにね。
顧客との関係だって、何か起きた時、すぐに知恵のある奴に相談すれば何でもないことなのに、相談しないがために大げさになってしまうことってあるでしょう。新入社員もそうだけど、自分の子供が就職や仕事、結婚、その後の人生選択まですべてを正解主義で行くと、大変なことになるよ。そう思わない?
―― 藤原さんが言う正解主義の弊害は昔からあったわけですよね。なぜ今、顕在化しているのでしょう。
藤原 正解主義を一番あおっているのはメディアだと思うんだよ。テレビのコメンテーターが言うことが正解だと思っている人はいるし、新聞の書くことが真実だと思っている人も多い。でも、それだけが正解ではない。やはりメディアを批判的に見ると言うところから始めた方がいいと思う。テレビを批判的に見る――。このことを「クリティカルシンキング」というけど、情報編集力の中でとても重要な要素ですよ。
クリティカルシンキングを日本語に直訳すると、批判的思考になっちゃうんだけど、意味的には複眼的思考だと思う。つまり言われたところだけを見ないで、裏から見る、左から見る、など少しひねる。これは、上手に疑うということなんだよ。
「上手に疑え」
藤原 このインタビューのテーマだけど、「よく考える」とは「疑う」ということなんですね。日本では「疑う」というとネガティブなイメージになるけど、上手に疑って、信じるとなったら結びつく。つまり、どうやって信じればいいのか、それを教えなければならない。
―― どのように教えていけばいいのでしょう。
藤原 企業の研修でも人気のある人や偉い人を呼んで、それを座学で聞いているケースが多いけど、そんな正解を聞いたってしょうがないでしょう。これからは、むしろワークショップやロールプレイなどをガンガンやって、修正主義を叩き込んだ方がいい。これまでの正解主義の延長線上で生きたい人は発展途上国に行った方がいいと思うよ。
―― やはり情報編集力がイノベーションを生み出す鍵になるのでしょうか。
藤原 例えば、WiiやDSを開発した任天堂には、新しい世界観を作れる人間が何人かいるわけでしょう。たくさんいるとは言わないけど、何人かはいる。こうした人々が、会社の成長を決定づける新しい商品を開発している。この人たちは情報処理力ではなく、情報編集力に長けている人だと思う。
この5年ほどで、みんな一緒の社会からそれぞれ一人ひとりの社会に変わっていく。それぞれ一人ひとりの時代には明確な正解はありません。個々人が多様化した時代には、情報処理能力ではなく、情報編集力を身につけた従業員でなければ対応できないでしょう。今は「100年に一度の大不況」というエクスキューズがあるけど、こういった人材を育てないと、失った利益は二度と戻らないかもしれませんよ。
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